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南足柄ウォーキング。 [散歩]

普段でしたら、ここで夏の京都の続きをご紹介するのですが、ちょいとここで小休止ではないですけど、季節柄のものをご紹介しましょう。
先週の連休に行った南足柄の運動公園とビール工場をご紹介します。


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この酒匂川の鮎は全国の鮎の品評会に出品されるくらい品質の良い鮎が遡上するので有名な川なんです。

その先に広がっているのが
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田園地帯なのですがその脇に
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多くの彼岸花が咲いていました!
そこから更に歩くこと20分。
かなり凄い光景が広がりますが、それは次回。





夏の京都 7 伏見稲荷大社 1 境内 [寺社仏閣]

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外国人観光客が選んだ日本国内観光地で第1位に輝いたのがご紹介する神社です。
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【表参道鳥居】
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【西参道鳥居】

【伏見稲荷大社】
伏見稲荷大社は京都市伏見区にある神社で、旧称は稲荷神社。
式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とされています。
全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社です。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集め(日本国内第4位〔2010年〕)、外国人観光客からも観光地として人気があり、「トリップアドバイザー(英語版)」による2014年の「外国人に人気の日本の観光スポット」調査では1位を獲得しました。

だそうです。
だからどこも彼処も外国人さんなんだと納得!!
この大社には世界的にも有名なスポットがあります。ではそんな大社の境内をご紹介していきましょう。

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【楼門:国重要文化財】
天正17年(1589年)再建。秀吉の母大政所殿の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加する、と記したいわゆる“命乞いの願文”が伝来しています。
しかし造営伝承と伝来文書との整合性については多少の疑問がありました。ところが昭和48年に楼門の解体修理が行われたところ、願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見され、伝承の正しかったことが確認されました。神社の楼門の規模としては最も大きいものに属します。

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【外拝殿:国重要文化財】
詳細の説明はありませんでしたが、こちらも重要文化財に指定されています!!

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【内拝殿】
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【本殿:国重要文化財】
五間社流造、檜皮葺き、明応3年(1494年)建立。
社殿建築としては大型に属し、装飾、特に“懸魚”の金覆輪や“垂木鼻”の飾金具、それと前拝に付けられた“蟇股”等の意匠に安土桃山時代へ向かう気風がみなぎり、豪放にして優華な趣をただよわしています。

さすがですね。京都の稲荷神社は規模も違います!!
次回はこれより更に奥へと進んで行きます。




夏の京都 6 泉涌寺 2 御座所庭園 [寺社仏閣]



泉涌寺の奥に建立されているのが御座所になります。

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【御座所】
仏殿・舎利殿の背後に建つ。安政年間(江戸時代末期)に建立され、明治天皇が使用していた旧御所の御里御殿を1884年に移築したものです。
女官の間、門跡の間、皇族の間、侍従の間、勅使の間、玉座の間などがあります。
玉座の間は、天皇皇后が来寺した際に休息所として使用する部屋であり、平成期(1989年-)に入ってからは、即位報告(1990年)、平安建都1,200年記念(1994年)、在位10年の報告(1999年)などの際に今上天皇が泉涌寺を訪れ、この部屋を使用しています。

そんな由緒ある御座所の庭園を覗いてみましょう。

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もう手入れされた庭園ほど落ち着く場所はない!と言っても過言ではないくらい落ち着きました。
でも、そんなに落ち着いている余裕もないので、次に向かうことにしました。
この日の目的地はこの後に後8箇所もあるのです!!
大変!!!

その次の目的地は【外国人が選んだ日本の観光地第一位】のあの場所です!!



夏の京都 5 泉涌寺 1 [寺社仏閣]

泉涌寺は、京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院で、山号は東山または泉山と呼ばれ、本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。
平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)だそうです。
東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれてています。
では、そんな泉涌寺をご紹介して行きましょう。

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【総門】
総門を抜け、更に歩くこと5分出てくるのが大門になります。
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【大門:国重要文化財】
慶長年間(江戸時代初頭)造営の御所の門を移築したものだそうです。

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【経蔵】
そしてゆるい下り坂を降りていくと出てくるのが仏殿になります。
この坂道からの風景を見たくて行きました!!
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【仏殿:国重要文化財】
寛文8年(1668年)、徳川家綱の援助で再建したものです。
密教寺院の中心堂宇は「本堂」「金堂」と称することが多いのですが、泉涌寺では宋風の「仏殿」の呼称を用いています。
内部は禅寺風の土間とし、柱、窓、組物、天井構架等の建築様式も典型的な禅宗様になり、本尊は過去・現在・来世を表す釈迦・阿弥陀・弥勒の3体の如来像を安置しています。
天井の竜の図と本尊背後の白衣(びゃくえ)観音図は狩野探幽の筆になっています。

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【浴室】

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【舎利殿】
舎利殿は、釈迦の仏牙舎利を奉安する貴重な霊殿です。慶長年間、京都御所の建物を移築改装したもので、仏殿と同時代に現位置へ移されました。
開山俊律師が熱願された舎利を、弟子の湛海律師が安貞2年(1228)に宋朝より将来し遷座した。
現在同時に将来された韋駄天像・月蓋(がつがい)長者像(共に重文)とともに内陣に奉祀されています。
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本当に広い境内です。石仏や石塔などが少ない分、更に清閑に見えます。次回は、この奥にある【泉涌寺御座所】の【御座所庭園】を詳しくご紹介します。



地検調査 [ひとり言]

昨日親父から電話があった。

【※以下僕『 』、親父「」】

「あのな、ミライ。今日市役所の奴等が来たんだよ」
『何しに?』
「地検調査だって」
『へぇ』
「で、調べたんだよ。そしたら、俺もビックリしたんだよ」
『何に?』
「うちの隣の山所有の〇〇の野郎が、勝手にうちの家に檜を植えてたんだよ」
『あ~、あの場所か~』
「しかもそれだけで6反だぞ、6反」

その辺りで僕も酷いなぁと思い始めた。
『そりゃぁ、あいつもやるなぁ・・・』
「まぁ、それはそれでいいんだよ」

いいんかい!?
『良くないじゃん』
「まぁな」
『それよりビックリした事があるんだよ』


約1800坪の敷地を盗まれていたのに、それよりも酷い事って一体何なんだ?
「何?」
『市が管理するデータを見せてもらったら、お父さんも知らない土地が次々に出てきたんだよ』
「そりゃぁ、ビックリだね。って、どんだけうちは杜撰なんだよ」
『なぁ、お父さんもビックリだよ』

・・・
何か他人事なのですが・・・・
ってか、今のうちの家の前の道路は県道なのですが、未だに土地の権利はうちの権利なんです。
昔、それを聞いたら、昔のことだからなの一言で片付けられたとか・・・・。

うちのいい加減だけど、役所もいい加減なものだ。ってか、みんないい加減なものだ!!
で、今度その土地を調べに行くことにしたそうだ。





夏の京都 4 東福寺 方丈 [寺社仏閣]

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【東福寺 方丈】
明治23年(1890年)の再建。正面前庭にある唐門は明治42年(1909年)に造営され、昭憲皇太后より下賜されたものです。
庭園は近代の造園家、重森三玲によって昭和13年(1938年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配されています。
釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されています。
鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園である。
今回の旅の目的のひとつでもあります、東福寺方丈庭園をご紹介して行きましょう。

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【南庭】
荒海の砂紋の中に蓬莱、方丈、瀛洲、壺梁の四仙島を表現した配石で、右方には五山が築山として表現されています。

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【北庭】
南の恩賜門内にあった敷石を利用し、石と苔を幾何学的な市松模様に配しています。

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【西庭】
さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図しています。

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【東庭】
東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様の地割に配していますが、この東庭のもう一枚の写真が個人的には結構お気に入りの一枚なんです。
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【東庭:北斗七星】
当時は方丈庭園の庭に人間の手を加えた石を配置することにも難癖を付ける人がいたそうですが、僕個人的には本当に素晴らしい庭だと思います。

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結構巧い写真アングルではないかと自負しています(^^;)
次回はこの寺院の裏手に広がるこれまた巨大な寺院をご紹介します。ちなみに次の寺院も拝観したいと思っていた寺院のひとつです!!




夏の京都 3 東福寺 通天橋~常楽庵 [寺社仏閣]

前回の続き、今日は通天橋と常楽庵をご紹介します。

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【通天橋】
仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊で、天授6年(1380年)に春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられています。
昭和34年(1959年)台風で崩壊したが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリートとなったそうです。
ここは兎に角紅葉で有名な場所です。
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【通天橋下の翠紅葉】
そして、この通天橋の奥にある建造物が
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【常楽庵開山堂:国重要文化財】
主要伽藍の北側に位置しています。
開山円爾像を安置する開山堂とその手前の昭堂を中心とした一画。
文政2年(1819年)焼失後、同9年(1826年)までに再建されました。
昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっており、京都五閣のひとつ伝衣閣(でんねかく)と称されています。

ちなみに京都五閣とは、世界的にも有名な鹿苑寺の金閣や慈照寺の銀閣、それに西本願寺の飛雲閣、大徳寺塔頭芳春院の呑湖閣、そしてここ東福寺の伝衣閣を言います。

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【金閣寺】(※2014年1月撮影)
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【銀閣寺】(2014年1月撮影)
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【飛雲閣】(※2014年8月撮影)
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【呑湖閣】(※2013年9月撮影)

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枯山水の庭に囲まれた呑湖閣は清閑な佇まいでした。

その呑湖閣に隣接するのが
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【愛染堂】

非常に広い伽藍を有する東福寺のもうひとつの見所が【東福寺方丈】になります。
その方丈はまた次回詳しくご紹介します。今まで見てきました庭園とは違う庭園に、多分、ビックリすると思います(^^)。




夏の京都 2 東福寺 境内 [寺社仏閣]

東本願寺から自転車で・・・・結構かかりました。
東福寺。
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【偃月橋から見る通天橋】

東福寺は、京都市東山区本町十五丁目にある臨済宗東福寺派大本山の寺院で、山号を慧日山(えにちさん)。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は九条道家、開山(初代住職)は円爾です。
京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えました。
明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有する大寺院です。
では、この見所満載の東福寺を詳しくご紹介して行きましょう。

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【禅堂:国重要文化財】
まずはこの禅堂。
貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂なのです。
一発目がこの禅堂なのですから、この先が楽しみです。
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【山門:国宝】
応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のものです。
上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門です。
(※「五間三戸」とは正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味、「二重門」は2階建ての門だが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るものを言います)。
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ちなみにこの山門には13世紀に秀吉が付け加えた柱が4箇所あります。山門の屋根の四隅が下がらないようにと配慮した柱で通称【太閤柱】と呼ばれています。
行った際には見つけてみて下さい。日本全国の文化財の保護も率先して行った秀吉なのでした。

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【本堂(仏殿兼法堂)】
明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼け落ちた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり昭和9年(1934年)に完成したそうです。
入母屋造、裳階付き。高さ25.5メートル、間口41.4メートルという大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。
天井の竜の絵は堂本印象筆である。本尊釈迦三尊像(中尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)は、明治14年の火災後に万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。

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【経蔵】

この経蔵の先にあるのが通天橋になりますが、通天橋は次回ご紹介します。








夏の京都 1 東本願寺   [寺社仏閣]

8月の夏休みに行った京都の旅をご紹介します。
もう秋になっちゃいましたけど、それはそれで良しと(^^)して下さい!!お正月にご紹介した寺社仏閣以外を中心にご紹介します。

ではでは。

最初に向かったのは、京都駅から程近い場所にある巨大な寺院【東本願寺】です。

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【阿弥陀堂門】
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東本願寺は京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山の通称で、正式名称は、「真宗本廟」になります。

大谷派の最高規範である『真宗大谷派宗憲』(以降、『宗憲』)には、「真宗本廟は、宗祖聖人の真影を安置する御影堂及び阿弥陀堂を中心とする聖域であって、本願寺とも称し、本派 の崇敬の中心、教法宣布の根本道場である」と規定される。
東本願寺(真宗本廟)は、包括宗教法人である「真宗大谷派」に包括される単位宗教法人(被包括宗教法人)ではなく、法人格を有していない[5]。大谷派が管理する礼拝施設等(伽藍)の総称であり、宗教法人法による寺院ではない。(宗教法人法による宗教法人の分類については、宗教法人#単位宗教法人と包括宗教法人を参照。)
(※Wikipediaより)
東本願寺は江戸時代に4度の火災に遭っており、その火災の多さから「火出し本願寺」と揶揄されていますが、東本願寺が火元となったのは、文政6年(1823年)11月15日の火災のみだそうです。
現存建造物の多くはどんどん焼けの後、明治期の再建だが、建築・障壁画等は当時の技術の粋を集める建造物ばかりで、建造物のほとんどが【国の登録有形文化財】に指定されています。

では、そんな建造物をご紹介します。

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【御影堂】
御影堂は、境内のほぼ中心に位置する和様の道場形式の堂宇です。屋根は瓦葺きの重層入母屋造。
外観が二重屋根であるため二層建築に見えますが、下部は裳階であり単層建築です。
建築規模は、間口76m・奥行き58mであり、建築面積において世界最大の木造建築物です。
現在の建物は、明治13年(1880年)に起工し、明治28年(1895年)に完成しました。平成16年(2004年)3月から平成21年(2008年)12月にかけて、大規模修復が行われました。総工費は約98億円です。
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堂内は、「内陣」・「外陣」・「参拝席」に分かれています。
内陣は横に7つの室に分かれていて、中央の間を「内陣本間」と呼ばれます。
「内陣本間」側から、左側の余間を「十字の間」・「九字の間」・「飛檐の間」と呼び、同じく右側の余間を「六軸の間」・「新六軸の間」・「御簾の間」と呼びます。
「内陣本間」の中央に須弥壇上を設け、その上に「御厨子」を置き「御真影」(宗祖親鸞の坐像)を安置しています。
かつては「大師堂」と呼ばれていました。
その由来は、明治9年(1876年)に明治天皇から親鸞に対して「見真大師」の大師諡号が贈られたためです。昭和56年(1981年)に「宗憲」が改正された際、「見真大師」号が削除され、同時に大師堂の呼称が取りやめられ、御影堂の呼称に復しました。
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そして、この隣にある阿弥陀堂と御影堂門は現在修復中なので端折ります。
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【御影堂門の装飾】
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【鐘楼】

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【菊の門】
個人的に、この門は好きな門なんです。他の寺院の門には少ない肌色を基調とした色彩がいい感じなんで(^^)
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【玄関門】

もし江戸時代に4回の大火に遭遇していなければ、建物のほとんどが国宝や重要文化財に指定され、東本願寺も世界文化遺産に登録されていたことでしょう。
そう思うと、非常に重要な寺院だと思えてきます!!

次回は、この東本願寺脇にあるレンタサイクル屋さんでお世話になり、東福寺へと向かいます。
東福寺は今回行きたかった寺院の中でもトップクラスの寺院なんで、詳しくご紹介します。


自販機 [ひとり言]

先日の出来事。

会社に2台の自販機を設置しているのだが、その自販機に納品に来た八洋の担当者が事務員に何かを報告している。
まぁ、大した問題でもないだろうと思っていたのだが、話を聞いて見ると世田谷区から自販機で販売している”デカビタC”を販売するなと言われたらしいのだ。
理由は、瓶物が会社近所の公園で割れていて、それを調べると会社の自販機で販売していたかららしい・・・。

俺は即座に、世田谷区に連絡した。
出てきたのは、電話受付も出来ない下手な奴だった。
話を聞くと担当したのは公園管理事務所の所長だったという。折り返しの電話をお願いして電話を切った。

数時間後、電話が掛かってきた。


( ※今後、俺『』 、 所長「」 )

『もしもし、お電話変わりました、未来です』
「もしもし、あの~私、世田谷区烏山公園管理・・・・・の、何ちゃらです」
『単刀直入に聞くけど、自販機の瓶物の販売を禁止したのはお前か?』
「はい・・・・、というか販売禁止ではなく、公園で怪我人が出ましたので対処させて頂きました」
『何故、勝手にうちの商品だと決め付けて、うちに相談もなく八洋に電話したんだ?』
「いやぁ、問題がありましたらと書いてあった連絡先に連絡させて頂きましたが?」
『阿呆か?あれは故障等の場合だろうが!自販機はうちが設置してんだよ!』
「あぁ、そうなんですか?」
『あぁ、そうなんですか?って、そんなの常識だろ!ってか、どうしてうちの自販機の商品だって断言してんだ?』
「一番近くにある自販機でしたので・・・・」
『お前、本当に阿呆だな!じゃぁ、他の自販機にも連絡を入れたのか?コンビニにも連絡したのか?スーパーにも?』
「いやぁ、そんな大袈裟な問題ではございませんので・・・・」
『お前、馬鹿だな!そもそも怪我した一番の問題点は、瓶を割ったことだろ!それに対してはどう対処したんだ?』
「いえ、そこは個人の問題なんで」
『なぁ、自販機で瓶物を売るのも自由だろうが・・・』
「いや、それとは違うと思いますが・・・」

こいつは本当に頭が弱い

『いいか、今回の一番の問題は公園に持ち込んだものを持ち帰らない結果だろ!それを放置して帰り、誰かが悪ふざけで割り、その結果、誰がか怪我をしたんだろうが!』
「そうですね」
『じゃぁ、公園にゴミ箱を設置しろよ!』
「それは世田谷区で禁止になっておりますので・・・」
『この際だから、言わせてもらうけど、お前らがゴミ箱を設置しないから、うちの敷地内に弁当カスやビール等の空き缶を捨てていくんだよ。じゃぁ、それはどう対処すんだ?弁当箱を販売しないように言うのか?ゴミは毎週行政が取りに来るのか?うちはもう4年もそのゴミを毎回毎回処理してんだよ!』
「いやぁ、それは無理です」
『対処の仕方が間違ってるだろうが。行政で所長の座に着くなら、それくらいの常識を兼ね備える努力をしろ!』

埒があかない。

『いいか、クレームを入れた親が何か行って来たら直接うちに言ってくるように言え。そして自販機屋に連絡して即座に元に戻すように言え。次に公園内にゴミを近所に捨てないようにという立て札を立てろ。最後に今後明らかに公園の利用者がうちの敷地内にゴミを捨てていったら、そのゴミは公園内に投げ捨てるからな。』
”まぁ、投げ捨てられないですけどね(^^)”


と言って、電話を切った。

その後10分も経過しないで自販機屋が来た。
ってか、この自販機屋にも問題がある。
販売を許可しているのは当社なのに、勝手に世田谷区の指摘通りに変更しやがって。
普通、当社に打診するのが正当だろう。
それも無しに、勝手に販売商品を変更するなんて有り得ない!
『今後、このような理不尽な事があれば自販機は即座に撤去するから。別にキリンでもコカコーラでもいいんだし』
「申し訳ありませんでした」

実は、うちの自販機、めちゃくちゃ頑張り屋さんなんです。
2台設置しているのですが、その2台で7台分近くの売り上げを上げているのです。まぁ、近所にコンビニも自販機もないうえ、値段の最安価格に設定しているので。
で、先日公園を覗いたら立て札がありました。


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